<2016年9月30日にfacebookに書いた記事>
今日から環境経済学の英語の講義が始まる。
アフリカ、ヨーロッパなど、世界の国々から集まってくる学生たち。
上手な講義、上手な英語ではないことはわかっているが、
教えたい大切なポイントは必ず伝えきるようにしている。
私の講義は、よくないかもしれないが、グループで議論させたり、
教材を使ってレポートさせたり、そんなことは一切させない。
パワーポイントは使わない。ホワイトボードにはたくさんの書き込みをする。
そういう、ただ、私が講義し、議論は私とのやりとりを基本としている、
古臭い、昔ながらの講義だ。日本語の講義もそうだ。
大学という学びの場の中で、講義が果たすべき役割は、
10%〜20%くらいのものだと思っている。
大学は、自分で勉強したり、いろいろな教授と個別に議論したり、
図書館を利用したり、仲間通りで勉強したりする、
そういう場であることがもっとも基本だ。
講義は、学びのきっかけ、動機付けくらいの位置だとすると、
何よりも、教授からのまとまった話、
教授が人生かけてつかんだ学問のエッセンスを伝えることが基本だと思っている。
いつか、石澤元学長が言っていた「教授は講義でもっと自分の人生を語りなさい」
という言葉は今でも耳に残っている。
少なくとも、私が学生だったら、そんな講義を聞きたい。
だから、そんな講義をする。あと3年6ヶ月で老兵は去っていく。